義公黄門仁徳録 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 トップへ
「八幡の八幡知らず」の由来は、鎌倉時代までさかのぼるようです。
釈の浄念という僧が、約300メートル×約2キロメートルの小さな竹藪を通り抜けるのに、十五日間もかかったというのです。
現在の八幡の藪知らずよりは、だいぶ大きいですね。
『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」
[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]
※この記事では国文学研究資料館の画像を適時改変して使用しています。 (CC BY-SA)
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